父の手記「国家のために死ぬ」という論理納得できず

   ―― 父の遺した業、今よみがえる

小島祥一

 

過去の戦争の記憶について、原稿を募集されているとのご連絡をいただきました。何かのご参考になればと思い、以下のように書いてみました。

私の父小島穀男(こじまのぶお)は1993年に亡くなりましたが、没後、1946年に書いた手記が出てきました。大学で造船を専攻したので、1943年に、海軍技術将校として召集され、インドネシアセレベス島マカッサルで造船所の監督が任務でした。マッカーサーがニューギニヤからフィリピンに向かった ため、生き延びて、一年の捕虜の後帰ってきました。復員直後に書いたものですが、押し入れに眠ったままでした。

生前はほとんど戦争の話をすることはありませんでしたが、官僚の私が「今日は各省連絡会議がある」と何気なく話したとき、「俺もマカッサルで各省連絡会議をやっていたが、10人の出席者のうち8人が絞首刑になってしまった」とつぶやいたのが、うちの家族の記憶にも鮮明に残っています。BC級戦犯は、捕虜虐待、現地人虐待への追及が厳しく、父は「俺は捕虜、現地人は使わなかった」と言っていたので、生きて帰ったのでしよう。

手記「南方生活の憶い出」は、文庫本1冊ぐらいの長さで、具体的な体験談になっており、一周忌に印刷して関係者に配りました。その中で1章だけ、「生への執着」という超哲学的な文章があり、「国家の安全のために、自分は戦争に出されて、死なねばならない」ということはどうしても納得出来なかった、と述べた部分があります。

そのまま、今の安倍政権の「安保法案は国民の平和と安全のためであり、戦争法案ではない」と いう論弁、「国民は国家に従う義務がある」と書きまくる憲法改悪案、「戦前戦中の日本は正しかった」という歴史修正主義への反論になっています。家族の間では、「今の世の中のために書いたみたいだね」と話題になっています。長いので、以下に主要部分を抜書きします。

1946年に、31歳の青年技術将校が復員直後に書いたものとして、お読みください。

*  *  *  *

「生への執着」

小島穀男(こじまのぶお)

1915年生まれ

1943−45年海軍技術将校(セレベス島)

1946の憶い出」執筆

1993年没、小島祥一原稿入手、関係者配布

 

死の諦観に近づいてついにそれに達することが出来なかった。近づくたびに生への執着が自分を後に引き煩悩の紳はついに断ち切ることが出来ない。

我々は国家のために死ぬのだそうである。国家の安全のために犠牲になるのだそうである。

国家とは何ぞや。それは1つの団体に過ぎない。この団体は何ゆえに生じたのであるか。言うまでもなく、各個人の生活を安全に、幸福ならしめんとして生じたに過ぎない。そうして個人の幸福の害されざる限り、国家はあくまで生活の機関であった。しかも国家が国家としての独立性を持って人間の生活から脱出し来るや、一個厳然たる大機関となった。人間は今やこの大機関の下に、奴隷の如く服従しなければならない。

そうして宗教もこれをたたえ、道徳もこれを称し、哲学はこれを埋論化する。かくして国家は最高の存在として、最高の価値を有するに至る。至高なる哲学的存在は天にある。一個の人間はいやしい地上の虫けらに過ぎない。その幸福を蹂躙するとは何であるか、それが徳である。かくしてついに個人の幸福はどこかに飛んでいってしまったのである。

そうして一個人、すなわちすべての人間は国家の奴隷となってしまった。死ぬべきものは国家に非ずして個人である。犠牲となるものはまた国家に非ずして個人である。そうして宗教的熱狂とともに戦争が開かれ、国家の安全のために、数十万、数百万の人間が死なねばならぬのである。

死とは何ぞや。宗教は種々の形で死後の幸福を称し、哲学は種々の形で死を理論づける。しかし大多数の人間にとってそれは、観念上の遊戯に過ぎない。賢人や哲学者は無智なる者を憐れむ。ささやかな理智が彼らに恵まれた。彼らは人生の目的を求め、人生の帰結を探らんとする。そのことの不可能なるが故に、自ら失望せざるを得ない。ある者は自らの論理に迷わされ、ある者は観念に囚われ、得たりと信ずるところの結論は、ついに彼自身を慰めるべきーつの迷いに過ぎなかった。それが彼らの宗教であり、哲学である。

かくの如くにして、賢人と哲学者はついに自己満足のみで終わらざるを得ない。人生はついに彼らの考える外にあった。人生の本体とか、究極の目的とかは人間の思議以外にある。すべてのそれに対する説教者こそ詐偽者なのである。

生活はーつの存在である。それは具体的な生活の意味であって、抽象的な高遠な理想の如きものではない。生活の欲するところは自己目的である。日常の生活である。日常の生活さえ幸福であれば、何が何を要求しよう。

生活が不幸に陥りかけたのは、確かに理智のお蔭である。理智は生活に幸福を与えると同時に大きな不幸を与えた。

理智はそのささやかなる力をもって自然を究明したと信じた。それが宗教であり、芸術であり、政治であり、経済であった。それらが生じたのは、生活をより良くし生活をより幸福にするためにのみ生じたのである。

政治は決して支配者の支配欲を満たすためのものではないはずである。そうなれば堕落した政治である。道徳は生活をより幸福ならしむべく、人間がその経験と理性から生んだーつの方法である。人間を縛るために生じたものではない。

人間が人間の道具として生み出した種々の機関なり制度なりが、独立して特有な進化を続ける。人間は自らがその機関、制度の主であると信じていた。しかしいつの間にか、実はその奴隷になってしまった。人間がその生活のために作った機関である国家はついに人間を奴隷としてしまって、国家のために死ぬことさえも要求するに至ったのである。

 この機関、制度の下で、理性は死に対してーつの妥当性を与える。しかし死はやはり不幸である。死は人間の二大本能である種属維持と白己保存に反するのである。

戦争中、死は種々の形で我々に迫った。空襲によるそれは極めてImpulsivelyである。戦争の悲局によって生ずるそれは極めてStatisticallyである。

私はそのたびに早く死の諦観に達せんと焦った。しかもついに生への執着を断ち切ることは出来なかった。外見はいかにも死を覚悟しているような顔をしていた。偉そうな顔をして部下に訓示したことも何回もある。自ら進んで危険な地に人っていったこともある。しかしそれらの時の自分の心の底を眺めて見ると、いずれも一種の虚栄心に過ぎないのである。本心は常に生きたい、生きたい、生きて今一度内地に帰りたいと思っていたことは偽らざる告白である。

大和魂とは何ぞや。私はあえて言う。大和魂とは虚栄心と自暴自棄の結合せるものである。しかもかかる無意味なる結合をなさしめたるものは、我々および我々の父祖が、自己の生活の幸福のために作った日本という国家である。